母に暴力を振るう父をもつ息子に相談されたらどうしますか?

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斎藤ひとりさんの著書「おもしろすぎる成功法則」に、こんなエピソードが紹介されていました。

父からの暴力に日々耐える母を救出することができた福岡県小学校教諭の桑原健輔さんのお話

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父は、健輔さんが小さい頃が母へ暴力を振るっていて、気に入らないことがあると母を平手打ちしたり突き飛ばしたり、そんなことは日常茶飯時です。

食事の時に、好きなおかずが用意されていないからと言って、母が作った料理を全てテーブルから床に落とし、氷の入った冷たいコップの水を母の頭からかけたことがありました。

僕のことで気に障ることがあるとお前のしつけが悪いからだと母を壁にヤリ逃げられないようにして体中にアザができるまで母を蹴飛ばすのです。

ある時父の好物だったお菓子を母が買い忘れたことがありました。夜中そのことに気づいた父は今すぐ買ってこいと母を買い物に行かせたのです。

その時、家族が住んでいたのは山の中の田舎町。母は数キロ離れた隣町に父の大好物のお菓子を買うためだけに行かされることになったのですが、反抗するとますますエスカレートする父の暴力が怖いので、まるで奴隷のように父の命令を聞くしかありません。

真っ暗闇の中とぼとぼ歩いて買い物に行かされる母の後ろ姿を、小学生だった健輔さんは窓からずっと見守っていました。

そして声を立てないように歯を食いしばって泣きました。「少しでも早く大人になりたい母を父から守ってやるんだ」

健輔さんは幼心に何度もそう誓ったのです。

そんな状況なので、学校にいる時だけが唯一ホッとできる時間でした。

母が蹴られ殴られ、罵られる母の姿を見たくはなかったからです。家に帰るのが嫌でした。

学校にいるときは友達と楽しく遊んだりして、明るい「けんちゃん」でいることができました。

いつしか自分のように傷ついた子供の心を癒して笑顔にさせる先生になりたいという夢が芽生えました。

教師になって生活を安定させて一刻も早くこの地獄のような生活から母を救い出す。これが目標となったのです。

そのために苦手だった勉強も一生懸命して、大学では教職課程を取って小学校教員の採用試験に合格することができました。

母は教師になれたことをとても喜んでくれました。

母はめったに笑うことがありません。

自分のために新しいブラウス一枚買ったことがありません。

小柄な母は健輔さんが高校時代に着ていたチェックのシャツの袖を折り返し大事そうに何年も着ていました。

そんな母の姿を見るたびに胸は張り裂けそうになるのです。

健輔さんは、母に「もうお父さんとは離婚しなよ。」と何度も勧めました。

しかし母から帰ってきた言葉は意外なもので、

「私がいなくなったらお父さんは生きていけないから。」

「私も離婚したいけれどこんな年になってしまったしモノを知らないからどう生きていっていいかわからない。」

あれだけ殴られたり罵られたりしているのにまだ父のことを想っている母が歯痒く、母本人が離婚を踏みとどまっている以上、息子としてどうしたらいいのか迷っていました。

ちょうどその頃、通勤している小学校の近くに向井さんがやっている斎藤ひとりさんが経営する「銀座まるかん」の特約店「たこのわ」があり、仕事の帰りに頻繁にお店に立ち会うようになりました。

向井さんに母のことを話すととても親身になって相談に乗ってくれます。

そして「今度東京の新小岩にあるひとりさんファンの集まるお店に遊びに行くんだけど、けんちゃんも一緒に行ってみない?もしかしたらひとりさんのお話が直接聞けるかもしれないよと。」誘ってくれたのです。

お店に遊びに行った日、幸運にもひとりさんがお店にいました。

家庭の事情を向井さんから聞いていたひとりさんは、こんな言葉をかけてくれました。

「けんちゃんお父さんとお母さんのことは夫婦のことだから、離婚するかどうかはお母さんの判断に任せたらどうだろ。

けんちゃんはお母さんの心が明るく軽くなるようなことをたくさん言ってあげな。

お母さんは強いね。あんなにお父さんに殴られてもまだそんな風に思えるんだから。なかなかできることじゃないよってね。

いっぱい褒めてあげて、お母さんが正しい判断ができるように縮こまって固くなっている心をほぐしてあげるんだよ。」

そんなアドバイスをもらったので、その日から

「お母さんは本当に偉いね。お母さんは強いねなかなかできないことだよ。」

と何度も何度も言い続けているうちに、無表情だった母の顔に笑みがでるようになりました。

うつろだった目には光がでるようになり、何とも言えない無邪気な笑顔でニコッと笑ってくれることもありました。

そしてある日きっぱりした口調でこう言ったのです。

「私この家を出て行くわ。お父さんとは離婚します。」

母が離婚を口にした日からのは荒れようは尋常ではありませんでした。

「お前のような世間知らずのババアが一人で生きていけるものか」

と騒ぎ立てたかと思うと、急に猫なで声になって

「今まで俺が悪かった。もう改心するから出ていくなんて言わないでくれ。」

と母に懇願したりします。

狂気のように騒ぐ父から母の身の安全を確保するためにひとまずアパートに母を避難させました。

するとはある日、職場に父から電話がかかってきて、父が蚊の鳴くような声で「俺は首を吊って自殺するから今からロープを買いに行くんだと、母さんに伝えてくれ。」などというのです。

この一言にはさすがに震えが止まらず心臓がドクンドクンと音を立ててなりました。

「いったい俺はどうしたらいいんだろう。父にまさかのことがあったらひょっとして母を父の元へ戻した方がいいんじゃないか。」

心の中は不安と迷いでいっぱいになりました。

するとなんと神様の使いであるかのようにひとりさんのお弟子さんのみっちゃん先生からタイミングよく電話がかかってきたのです。

「けんちゃん、お母さんの様子はどう?」

そう聞かれて手短に事情を話すと、電話口にひとりさんがでてくれて、

「けんちゃんは殴っているお父さんと殴られているお母さんのどちらの味方をするんだい。

今こそお母さんを全力で守るんだよ。お父さんが何を言ってきてもお母さんを守り抜くと覚悟を決めな。

お父さんの名演技に心を揺さぶられてお母さんをまた地獄のような生活に戻しちゃいけないよ。

万が一何かあったとしてもそれはお父さんが選択する人生なんだ。けんちゃんのせいではないんだよ。」

そんな言葉に胸がいっぱいになり、「何があっても母を守り抜きます」と腹を決めました。

その後も父の脅しは度々ありましたが、それにも動じず母を守り続けました。

母が再出発できるように住む所を見つけ、電車にもバスにも乗ったことがない母に切符の買い方や乗り換えの方法を一つ一つ教えていきました。

そして今ではブラウス1枚買ったことがなく化粧もしたことがない母が向井さんの店に行ってメイクを教わり、遊びに行くようになりました。

「ひとりさん仲間とも知り合い、初めて親友と呼べる人ができたよ。」と教えてくれました。

母の幸せが永遠に続くよう覚悟を決めて、これからも母を全力でサポートしていきます。

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この話しを読んで思わず感動して涙しました。

そして、もし自分が父の暴力に耐える母がいる子どもに相談されたら、ひとりさんと同じようなことが言えるだろうかと考えると、ひとりさんの言葉がすごいものだと感じます。

そしてその言葉に救われた健輔さんとお母さんも本当によかったですね。

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